Quantcast
Channel: 悩み事の相談のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 70

[転載]第3章 食中毒事件としての油症認定問題

$
0
0


第3章 食中毒事件としての油症認定問題

日本でも、台湾でも、油症問題は「食中毒事件」である。
だが、日本の場合、通常の食中毒事件に対しては認定基準がない。食中毒で認定基準が
あるのは水俣病とカネミ油症及びイタイイタイ病だけである。なお、水俣病とカネミ油症
は食環境が化学物質によって汚染されたために起きた化学性食中毒であり、長期にわたっ
て深刻な影響を及ぼす大規模な健康被害である。

医学者津田敏秀によると、全国の食中毒事件に関する報告書をまとめた食中毒統計では、
大まかに原因を「原因施設」「原因食品」「病因物質」の3つに分けて集計している(津田2004)。
従って、油症の場合は、油症患者は以下のように決定される。

すなわち、認定申請を行って、「原因施設」(日本:カネミ倉庫KK 製油部。台湾:彰化油
脂企業製油部)産の「原因食品」(日本:ライスオイル、台湾:米ぬか油)を摂取していた
油症関連の症状がある患者の発症の原因が「病因物質」(日本:PCBs、PCQs、PCDFs 及び台
湾:PCBs、PCDFs)であるか否かを判断する。

なお、食品衛生法を適用する際に、病因物質の判明は必要条件ではない。原因食品と原
因施設が明らかであれば良い。理由は以下のようである。

「もし病因物質の判明を必要条件としてしまうと、水俣病事件のような未知の病因物
質による食中毒事件の際に、たとえ原因食品もしくは原因施設が明らかで対策可能であ
っても、対策がとれなくなってしまうからだ。これは水俣病のような悲劇につながる。

また、たとえ既知の病因物質であっても、それを分析し検出している時間が長くなるほ
ど、対策が遅れてしまい、それだけ患者の発生数は増加することになる。これは食中毒
事件対策において、致命的な遅れにつながる。」(津田2004:52)

水俣病公式発見は1956年、病因物質(有機水銀中毒)とわかったのは1959年のことであ
る。1956年の熊本県における食品衛生法第4条(2003年以降の第6条にあたる)適用事例を見
ると、ネズミチフス菌(サルモネラ菌)やテトロドトキシン(ふぐ毒)のように病因物質の
明らかなものもあるが、病因物質が「不明」のものも少なくない。病因物質が不明でも、原
因食品が明らかであれば実際に規制している(戸田2006)。例えば、1942年3月から1950年に
かけて静岡県の浜名湖アサリ貝食中毒事件は、病因物質が判明しなくても、関連対策を迅速
にとることができた。また、2002年11月から2003年7月にかけての重症急性呼吸器症候群
(SARS)事件は、病原体であるコロナウイルスが確認される前に感染防止対策が始まった。

カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日に朝日新聞(西部版)夕刊で奇病発生が発表され
た。同年11 月6 日には九州大学属付属病院皮膚科において、五島慶安医師が油症被害とい
わゆるダーク油による鶏の被害の原因が同じであることを実験によって証明した(カネミ
油症被害者支援センター2006:73)。なお、8 月中旬から五島慶安はカネミ油が原因である
ことを知っていたが、公衆衛生局に届けていない。食品衛生法では届け出ない場合は罰せら
れるのである(原田正純2010:36)。1975 年九州大学の長山淳哉はPCBs からダイオキシン
類のPCDFs を検出した。1983 年油症研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)
はPCDFs が主原因であることを発表した。

津田敏秀は「カネミ油症事件では、事件当初から患者も医師もライスオイルが原因食品で
あると認識できていた。しかし、九州大学医学部の医師たちは、事件による被害が拡大して
いるにもかかわらず、また、病因物質までもが明らかになっているにもかかわらず、食品衛
生法に基づく届出を怠り、1968 年10 月に朝日新聞がスクープするまで対応しなかった…
(中略)…通常の食中毒事件であれば患者たちが当然受けられるべき補償の権利を、認定制
度を運用することにより奪われている」と述べている(津田2004:185-186)。

従って、食中毒患者の判定に病因物質の特定は必須ではない。原因食品摂取の確認1つ以
上の症状が判定の要件と言える。なお、1つ以上の症状は、食品衛生法第58 条(カネミ油
症発症時の第27 条に相当)[注26]以下に明記され義務付けられている食品衛生法体系に
基づき調査を実行すればわかる。水俣病事件もカネミ油症事件も、この法律に義務付けられ
た調査を行っていない(津田敏秀電子メール2017 年)。

しかしながら、第2 章に述べたように、認定、未認定、1 世及び2 世を問わず油症患者に
現れる症状は実に多様で個人差が大きい。毒物の摂取量及び排出量にも個人差がある。さら
に、外部環境の変化及び年月の経過とともに症状が変わる。つまり、油症の場合、症状の特
徴によって、油症患者であるか否かを判断することは難しい。

認定基準については、カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日、朝日新聞が油症の発症を
初めて報道している。10 月14 日に九州大学の油症研究班が発足して、18 日に油症外来が
開設され、その結果、106 名の受診者中、11 名が油症と診断された。そして、19 日に診断
認定基準が発表され、11 月1日、油症研究班は病因物質をPCBs と断定する。しかし、最初
の認定基準は皮膚症状が中心の診断基準となっており、PCBs 濃度の基準は明らかにされて
いない。なお、カネミ油症は、自然発生的な食中毒ではなく、人為的行為によって発生した
食中毒事件であることが明らかになった。さらに、1969 年7 月2 日現在の厚生省の集計に
よると、届出者1 万4,627 名のうち認定患者は913 名であった(カネミ油症40 年記念誌編
さん委員会2010:14)。すなわち、わずか6.2%しか認定されなかった。

1976 年の改正認定基準も皮膚症状中心の基準のままであったものの、「血液中のPCBs の
性状および濃度の異常」および「血液中のPCQs の性状および濃度の異常」が基準条件に追
加された。

2004 年の改正認定基準にはPCBs の汚染に加えて、PCBs とダイオキシン類(主にPCDFs)
の複合汚染が付け加えられた。その診断基準によって新たに18 名が認定された。2012 年カ

カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日に朝日新聞(西部版)夕刊で奇病発生が発表され
た。同年11 月6 日には九州大学属付属病院皮膚科において、五島慶安医師が油症被害とい
わゆるダーク油による鶏の被害の原因が同じであることを実験によって証明した(カネミ
油症被害者支援センター2006:73)。なお、8 月中旬から五島慶安はカネミ油が原因である
ことを知っていたが、公衆衛生局に届けていない。食品衛生法では届け出ない場合は罰せら
れるのである(原田正純2010:36)。1975 年九州大学の長山淳哉はPCBs からダイオキシン
類のPCDFs を検出した。1983 年油症研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)
はPCDFs が主原因であることを発表した。

津田敏秀は「カネミ油症事件では、事件当初から患者も医師もライスオイルが原因食品で
あると認識できていた。しかし、九州大学医学部の医師たちは、事件による被害が拡大して
いるにもかかわらず、また、病因物質までもが明らかになっているにもかかわらず、食品衛
生法に基づく届出を怠り、1968 年10 月に朝日新聞がスクープするまで対応しなかった…
(中略)…通常の食中毒事件であれば患者たちが当然受けられるべき補償の権利を、認定制
度を運用することにより奪われている」と述べている(津田2004:185-186)。

従って、食中毒患者の判定に病因物質の特定は必須ではない。原因食品摂取の確認1つ以
上の症状が判定の要件と言える。なお、1つ以上の症状は、食品衛生法第58 条(カネミ油
症発症時の第27 条に相当)[注26]以下に明記され義務付けられている食品衛生法体系に
基づき調査を実行すればわかる。水俣病事件もカネミ油症事件も、この法律に義務付けられ
た調査を行っていない(津田敏秀電子メール2017 年)。

しかしながら、第2 章に述べたように、認定、未認定、1 世及び2 世を問わず油症患者に
現れる症状は実に多様で個人差が大きい。毒物の摂取量及び排出量にも個人差がある。さら
に、外部環境の変化及び年月の経過とともに症状が変わる。つまり、油症の場合、症状の特
徴によって、油症患者であるか否かを判断することは難しい。

認定基準については、カネミ油症の場合、1968 年10 月10 日、朝日新聞が油症の発症を
初めて報道している。10 月14 日に九州大学の油症研究班が発足して、18 日に油症外来が
開設され、その結果、106 名の受診者中、11 名が油症と診断された。そして、19 日に診断
認定基準が発表され、11 月1日、油症研究班は病因物質をPCBs と断定する。しかし、最初
の認定基準は皮膚症状が中心の診断基準となっており、PCBs 濃度の基準は明らかにされて
いない。なお、カネミ油症は、自然発生的な食中毒ではなく、人為的行為によって発生した
食中毒事件であることが明らかになった。さらに、1969 年7 月2 日現在の厚生省の集計に
よると、届出者1 万4,627 名のうち認定患者は913 名であった(カネミ油症40 年記念誌編
さん委員会2010:14)。すなわち、わずか6.2%しか認定されなかった。

1976 年の改正認定基準も皮膚症状中心の基準のままであったものの、「血液中のPCBs の
性状および濃度の異常」および「血液中のPCQs の性状および濃度の異常」が基準条件に追
加された。

2004 年の改正認定基準にはPCBs の汚染に加えて、PCBs とダイオキシン類(主にPCDFs)
の複合汚染が付け加えられた。その診断基準によって新たに18 名が認定された。2012 年カ
ネミ救済法の同居家族積極認定を経ても、認定は2,307 名(2017 年3 月31 日現在、死亡者
も含む)にとどまっている。

認定基準について、原田正純は次のように述べている。
「食中毒事件においては「認定基準」などはいらない。申請などしていなくとも原因食
品を食べた可能性があれば、自宅にいても保健所の職員が調査にきてくれる。極言すれば
食品衛生法からは認定審査会も認定基準、制度そのものが不要ということになる。カネミ
油を食べ、何か健康障害があれば油症として登録(認定)されるべきであった。」(原田正
純2010:36)
食品衛生法上、認定基準がない中で、カネミ油症被害者が認定基準によって選別されて
いることは違法とは言えないのだろうか。

津田敏秀は次のように述べている。

「通常は、行政が積極的に曝露者数・油症者数、全数を把握するために、申請や認定な
ど必要ないのである。くり返すが食中毒調査の際は全体の調査が原則であるので、患者把
握に申請手続きは必要がない。そもそもカネミ油症事件の認定制度には法的裏付けがな
いのである。」(津田敏秀電子メール2017 年)

しかし、保田行雄弁護士は、カネミ油症は食品衛生法上「制度上の空白」地帯におかれて
いるとする(食品衛生法には慢性中毒としての被害の救済に関する規定がない)。「既成事実
化」したカネミ油症の認定制度を単純に食品衛生法に沿っていないから「違法」であると直
ちに言い切れるかということは、なかなか難しいが、国を相手として行政訴訟を提起しても、
勝訴する可能性は低い(違法であれば、裁判の提起も可能である)と述べている(仲千穂子
あて電子メール2017 年)。

一般に食中毒は自然毒や細菌感染を含む飲食物を摂取した結果として起こる下痢や発熱
などの疾病を指す。その原因になった因子物質によって5 つに分類される。①細菌性食中毒
(黄色ブドウ球菌など)、②ウイルス性食中毒(ノロウイルスなど)、③自然毒食中毒(有毒
キノコ、フグなど)、④寄生虫性食中毒(ジストマなど)、⑤化学性食中毒(農薬、メチル水
銀など)。

化学性食中毒としては、農薬中毒などがあり、水俣病、カネミ油症及びイタイイタイ病も
このカテゴリーになる。しかし、油症問題の特徴は、①症状の複雑さ(現在まで治療法は不
明)、②慢性的(PCBs、PCDFs、PCQs などの有毒化学物質は体外に排出しにくく、毒性が長期
間体内に残留する)、③継世代性(被害は2、3 世代に広がっている)、④社会的特徴(被害
は生物的弱者から始まって、社会的弱者に集中する(宮本2017)[注27]、⑤生活障害(健
康問題だけではなく、精神的・心理的・経済的問題も生じている)の多岐にわたる。


社会学者宇田和子によれば、油症は典型的食中毒よりも、むしろ「公害」の被害に親和性
をもっている(宇田2015:56)。食品公害とは「事業活動その他の人の活動に伴って生ずる、
自然に由来しない有害物質による食品の汚染によって、もしくは原因不明の食品の有害化
によって、相当範囲にわたる人々の健康又は生活環境に係わる被害が生ずることであり、特
に汚染された食品の摂取に起因する病の治癒、汚染物質の排出、及び生活環境の復元が困難
な被害が生ずること、典型的食中毒からは逸脱する特質をもった被害が生ずること」と定義
されている(宇田2015:58)。従って、カネミ油症事件は大気汚染、水質汚濁、土壌汚染を
経由しないので法律上の「公害」ではなく、法律的には「食中毒」(化学性食中毒)である
が、典型的な食中毒(ブドウ球菌食中毒など)とは相違点が多く、水俣病などの公害事件と
の類似点が多いので、「食品公害」という新たなカテゴリーを設けてはどうかというのが宇
田和子の主張である。なお、カネミ油症事件は森永砒素ミルク事件(1955 年)と同じ、「食
品公害」の代表例とされてきた(宇田2015)。昭和電工トリプトファン事件(1989 年)もよ
く言及される。

しかし、カネミ油症は水俣病と同様に、化学物質を病因物質とする食中毒事件である(津
田2004、石原2016)。油症も水俣病も食中毒事件として対処するべきだというのが津田敏秀
と石原信夫の主張である。油症問題が長期に渡っていること、治療が困難なこと、被害が胎
児にも及んでいるという点は同じく化学性食中毒である水俣病と類似するので、カネミ油
症問題の学問的に適切な解決策は「水俣病の1971 年認定基準」と台湾油症の「登録制」(自
らの症状などを根拠に申請して被害者として登録する)を参考にすることができるだろう。

皮膚症状に偏らずに全身の症状を列挙し「汚染食品の摂取」と「いずれかの症状」があれば
認定とするべきであろう。さらに、津田敏秀によれば、胎児性患者は摂食していないので、
食品衛生法の調査対象にはならない。従って、食品衛生法か食品衛生法施行令の若干の見直
しが必要である(津田敏秀電子メール2017 年)。

この点について、新大塚いずみ法律事務所の仲千穂子事務局長は次のように提案した。
「カネミ油症事件を契機として、食品衛生法の改正、または、未知の物質により国民が
被害をうけた際の新たな法の制定が必要である。この点、「食品安全基本法」が平成15年
に制定されているが、理念法に留まっており、カネミ油症のような事件が起こった際の救
済法としては不十分なままである。被害が発生した際に、国民の命を守るための補償をす
る法律に改正させていく運動が必要である。」(仲千穂子電子メール2017年)

以上、カネミ油症被害に対する認定制度を概観してきた。カネミ油症は空間的な環境汚染
(大気汚染、水質汚濁、土壌汚染)を経由しなかったので、「環境基本法」及び「公害健康
被害の補償等に関する法律」(以下「公健法」と呼ぶ)の対象外になる。また、「食品衛生法」
は短期間で軽快する中毒を想定している法律(宇田2015:56)なので、典型的食中毒と異な
る性質を持つカネミ油症を救済するには不備な点が多い。


一方、カネミ油症のような問題を解決するためには、3つの方法が考えられる。①現在の
食品衛生法または食品衛生法施行令を若干見直すこと。②カネミ油症は慢性疾患である点
などが公害に似ているので、マスコミや市民運動などから「食品公害」と呼ばれることが少
なくない。それをきっかけとして、「食品公害」を新しいタイプとして法律上の定義をし、
「食品公害」という新たなカテゴリーを設けること。③現在の公害の法的定義を拡張して、
カネミ油症のような特質をもった被害を公害病に認定すること。なお、解決には政治の力が
必要なのは言うまでもない(山田2017b)。

一方、水俣病は法的な位置づけとしては食中毒(食品衛生法)および公害(環境基本法)
である。認定・救済の場合、公害を優先して、「公害健康被害補償法」「水俣病補償協定」に
基づいて、被害者を認定・救済している(当初の中毒報告は「食品衛生法」、患者認定は「公
害健康被害補償法」)。カネミ油症は法的な位置づけとしては食中毒(食品衛生法)である。
上記方法により、カネミ油症は、法的な位置づけとしては食中毒及び食品公害であれば、新
たな食品公害に関する制度を設けて、認定・救済の場合、食品公害を優先して、被害者を認
定・救済することはできないだろうか。

なお、当初の水俣病の認定基準(1959~1970 年)は重症患者を念頭においた「狭い」もの
であったが、1971 年の認定要件(当時の環境庁長官は大石武一、医師)では、汚染地域に住
んで魚介類を食べ、知覚障害などのうち「いずれかの症状」があれば水俣病に認定するとし
ている。そのため認定患者数は大きく増えた。大量棄却によって多くの未認定患者を作り出
したのは、「症候の組み合わせ」を求める1977 年判断条件(当時の環境庁長官は石原慎太
郎、作家)である。背景には補償金支払額「急増」への「不安」があったと多くの人は推察
している(戸田2006)。

食品衛生法では、有害食品を食べて症状のあった人(曝露有症者)はすべて救済しなけれ
ばならない。症状の組み合わせで選別してはならない(津田2004a:75)。「食中毒患者の認
定制度」という奇異なものは、水俣病(熊本と新潟)とカネミ油症の他に例を見ない。すな
わち、「1万人を越える未認定食中毒患者」という異常事態はこの2 つの事件の他にない(津
田2004b)。水俣病では、救済の枠を拡大した1971 年の認定要件は選別、切り捨てにつなが
らなかったので、科学的にも法的にも妥当と思われる(科学論争はあるが、日本精神神経学
会は1998 年以来、1977 年の判断条件が「科学的に誤り」であると指摘し続けている)。し
かし、1959 年(認定制度の正式な発足)から1971 年の認定要件採用までと、1977 年判断条
件採用から現在までは、食品衛生法の趣旨に反する状態が続いているのではないだろうか
(戸田2006)。

従って、カネミ油症は食品公害としての認定基準は水俣病の1971 年の認定基準を参考に
することが妥当だろう。

台湾の場合、2011 年までに、政府は油症被害の存在は認めたが、具体的な登録の目安と
なる症状は定めなかった。自らの症状などを根拠として申請し、油症患者として登録する。
これは「登録制」と呼ばれる制度である。しかし、患者自らが申請しない場合もある。その
背後には、患者になることで予想される社会的差別を恐れている可能性がある。なお、登録
しても、補助金などの救済が非常に少ないことも理由の1 つに考えられる。
しかし、この制度は、第1 世代の患者の人数が増えないことを前提としている。多くの患
者が、表面化されないままになった。

2011 年、台湾政府は「台湾省政府七十一年度PCBs 中毒患者無料医療及生活救済計書実施
要点」を公布した。なお、これは国民健康署からの行政指導で、政権が交代すると破棄され
る可能性があった。この公布によって、1 世は1979 年12 月31 日以前に出生した者、2 世は
1980 年1月1 日以降に生まれ、実母が第一世代油症患者である者と定義された。未登録者
は登録するために、1 世は原因食品及び病因物質への暴露と表5 における症状に関する証明
書類を準備する。2 世は1980 年1月1 日以降に生まれ、実母が第1 世代油症患者である者
に関する証明書類を準備する。両者とも地方衛生局の主管機関に申請して事前審査を受け
た後に、すなわち、国民健康署が本審査にあたる。

2015 年、政府は「油症患者健康照護服務条例」を公布した。この条例は正式な「総統令」、
政権が交代しても効力を持つものであった。それによって、1、2 世代油症患者の定義が変
更された。すなわち、1世は1980 年1月1日から1980 年12 月31 日までに生まれ、実母は
第一世代油症患者という認定基準になった。つまり、1世に属する患者の数が増えることを
意味する。2 世は1981 年1月1 日以降に出生した者で、実母は第1 世代油症患者であるこ
ととされた。上記の「台湾省政府七十一年度PCBs 中毒患者無料医療及生活救済計書実施要
点」に血液検査(PCBs、PCDFs 数値)を必要条件として加えた(2016 年、血液検査は不要と
なる)。

2016 年公布の「台湾における未認定患者申請判定プログラム」[注28]の骨子は、未認定
患者は関係資料を準備して、地方衛生局に提出することである。地方衛生局は資料の内容を
確認して、中央国民健康署に報告する。その後、国民健康署専門家会議による審査を行って、
油症患者であるか否かを判定する。しかし、国民健康署専門家会議は具体的な判定基準を持
っていない。結果として「行政裁量」にとどまってしまう。中国語では「行政裁量」は「自
由裁量権」を意味する。従って、行政権力が強く影響していると考えられる。

湖南省沅陵県人民裁判所趙月欣所長著「浅谈法官自由裁量权」は「自由裁量権」について
次のように述べている。

「自由裁量権の危険性は次のように表現されている:1、裁判官が職権を濫用する可能
性がある。法治精神及び目的に違反する可能性がある。2、同類の事件において、違う裁
判結果が出る可能性がある。3、個々の裁判官は自由裁量権の名目で、消極的な裁判をす
る、法を曲げる、法律の実施を妨げる。または、報復する可能性がある。」[注29]

しかし、台湾油症の「患者登録」は、上記の税務機関及び裁判機関の「行政裁量」ではな
い。「行政裁量」の核心である「自ら判断し、自主的に選択する行政の権力が大きい」とい
うことは「患者登録」制度の特徴だと考えられる。つまり、「自由裁量権」の幅は広いので、
危険性も高いと思われる。例えば、台湾油症患者に支給されている見舞金は地方政府により
違う。これは地方政府が自らで制定した制度なので、首長が変わると、制度も変更される可
能性がある。

言い換えれば、台湾の患者登録制度は行政裁量の範囲の問題であろう。
筆者は2017 年2 月と8 月に台湾国民健康署ほかを訪問した際、関係職員から、当初から
登録制度は被害者にとって登録しやすかったとの回答を得ている。2014 年までの認定
基準のハードルは高くなかった。すなわち、認定(登録)基準は米ぬか油を食用にした年月
だけの証明で十分であった。2015 年に、血液検査が必要条件となった。認定申請患者は2 万
4,000 元(約8 万9,000 円)を支払わなければならない。認定された場合には返却される。
しかし、その間、申請した患者は1 名だけであった。2017 年2 月まで、1 名のみが申請し
て、認定された。2016 年の改訂版条例により、血液検査は不要になった。2014 年までの認
定基準と同じ、疑い油症患者は米ぬか油を食用にした年月だけの証明を地方衛生局に提出
し、確認されたら、国民健康署専門家会議による審査を行って、油症患者であるか否かを判
断する。

その間、台湾油症受害者支持協会は「2015 年油症患者生活現状調査報告」を公表した。
2013 年から、毎年台中市各地衛生所が油症患者健康検査をする際に、連絡先を残した油症
患者の名簿を作成した。この報告書によれば、2015 年2 月から同年末まで、名簿に登録さ
れた油症患者は695 名であり64 回の電話訪問と32 回の家庭訪問を行った。このうち、油
症患者301 名(台中県291 名、彰化県10 名)の状況が把握されている。登録患者は226 名、
未登録患者は37 名、ほかの38 名は不明である。

また、台湾油症受害者支持協会事務局長廖脱如によると、「現在の患者登録制度は曖昧だ
が、日本の厳しい認定基準よりいいと思います。しかし、現在の患者登録制度の「行政裁量」
の権限が大きいことに不安を抱えています。従って、現在未登録被害者数を明確にして、登
録患者の認定基準の幅を客観的に確立することが必要です」と提言している。

一方、郭育良は父親の油症患者も子どもに影響を与えることがあると推測している(カネ
ミ油症被害者支援センター2006 年編の『カネミ油症は終わっていない――家族票に見る油
症被害』の中で、油症患者である父親は子どもに影響を与えるケースはいくつかある)。現
在、台湾油症受害者支持協会は未登録被害者の状況を把握するために、調査を行っており、
2018 年の油症会議の中で、1世油症患者である父親の子どもは自動的に2 世と登録される
ことを提案する予定である。

一方、台湾における食品安全に関する法律に関しては、「食品安全衛生管理法」及び「公
害紛争処理法」があるが、被害救済に積極的ではない。2015 年から施行されている「油症
患者健康照護服務条例」は医療費免除の規定、人権保護規定と罰則規定及び死亡者へ見舞金
を支払う規定があるが、経済的な補償に関する規定がない。それは、油症被害者及び支援者
が政府の関係部門に救済を要求する運動をしないからであろう。

なお、第3 世代油症患者については、台湾でも、日本でも、具体的な認定基準がない。将
来にわたって追跡調査及び研究が必要だと考えられる。


転載元: 企業の社会的責任を持たす市民のブログ


Viewing all articles
Browse latest Browse all 70

Trending Articles